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子育て共同体の再生で、未来ある日本を

 量産技術の発達した高度経済成長期には、大都市への人口集中が急速に進み、地域自治組織の解体と共に、核家族化のもとでの保育所要求、職住分離、公害問題の噴出で行政への問題解決の依存が強まりました。この時、母親を中心にした保育所建設運動、市民の公害反対運動、社会保障の充実など市民の要求運動が強まり、革新自治体が多く生まれましたが、住民の共同で地域を支える自治意識の発達にはつながらず、ばらまき福祉との攻撃が強まり、行政改革による財政再建の流れに日本は飲み込まれてゆきました。

 

1.新自由主義の下での小さな政府追求がもたらしたもの

 1980年以降、市民の共同が広がるのではなく、小さな政府を求め、自己責任を強調する新自由主義が強まりました。しかし、サッチャーやレーガンが主導したこの新自由主義的政策は、過剰生産を投機で支える構造をもたらし1992年のバブル崩壊という形で矛盾を露呈しました。

 本来は、生活が豊かになると投資需要が低下するので、この余剰を、賃金や社会保険料への配分を増やしたり、あるいは社会需要に応えるために法人税や所得税として徴収しなければなりません。つまり、投資が減った分、消費として使う主体への配分を増やさねばならなかったのです。

 ところが、資本は多国籍化することで、日本国名への投資が減っているのは、日本では賃金が高くもうけが少ないからだ、大企業がもうかるようにすれば投資が増え庶民にも富が回ってくるという、トリクルダウンの主張がまかり通りました。実際、2000年以降、非正規雇用が増えて、勤労者の賃金は下がり続けています。

 低賃金にもかかわらず大企業がもうかり、株主がもうかるのは、需要不足を財政赤字による社会給付で補っているからです。大企業や株主が利益を生産的な投資に回さないのに、国家が社会保障の財源として課税するのでなく借金をするので、富める者は国に財政赤字を担わせてますます富み、貧困なるものはますます貧困になっているのです。

 こうして、大企業や株主以外の国民は、不安定就労下での高齢者福祉のための負担の増加という問題に直面することになりました。働く世代の低賃金と負担増が、子育ての負担に自信を持てない、結婚できない若者を生み出しました。

 新自由主義が吹聴する、儲けは能力のたまものであり、格差は正当であると自己責任論がまかりとおる社会的風潮が、少子化を加速し、国民国家の未来を危うくすることにもなっているのです。

 望まない少子化を防ぐには、保育や介護を誰でも必要な時に受けられるよう、また、教育に負担かかかりすぎないよう、公的サービスを充実してゆく必要があります。

 にもかかわらず、大企業や大株主が、課税逃れの所得移転をちらつかせて、そのための負担に抵抗するため、公的サービスに従事する労働者の賃銀は低く抑えられ、必要を充足できない事態に直面しているのが、現状でしょう。

 しかし、社会の富の量ではなく配分が問題になっている時に、社会の富の量を増やせば問題は解決するとして、富の配分問題に手を付けようとしない、成長戦略という幻想が、まだ政治を支配しています。

2.低所得層と大企業の内部留保の増大、これを支える財政赤字という経済循環が促進する少子化

 財政赤字の理由は、①非正規雇用の拡大で賃金が低下していること、②企業の社会保険料の負担が軽いこと、一方で、③企業が内部留保をため込んでいるのに、法人税や財産所得課税を引き下げていることにあります。

 日本の場合、西欧諸国と比較して、企業の社会保険料負担の水準は低いものの、法人税は高く、企業は社会や労働者に所得を配分する役割を果たしていました。ところが、成長戦略の名で法人税が引き下げられたため、企業は社会や労働者に所得を配分するするのでなく、株主に不労所得を配分(内部留保をして株価を引き上げる)することを主たる目的とするようになってきたのです。

 しかし、投資の必要もないのに儲けをため込めば需要不足で不況になってしまいます。不況を避けようとすれば、国家が借金をして内部留保資金を、需要のあるところに回さねばなりません。

 こうして、国家の赤字が累積する一方で、企業に使い道のない資金としての内部留保が増え、年収200万程度の貧困層が増大するという、未来なき日本の経済構造が出来てしまったのです。

 しかも、市民が共同消費のために必要なだけの地方税を負担する余裕がない状況は、自治体の社会サービスを縮小させて、共同体としての自治が育ちにくい社会を生み出します。そこでは、少子化は止まりませんし、高齢者と若者の要求も対立します。

     日銀の資金循環統計 国民経済計算2011年度版、2009年度版

 

3.問題を解決するための基礎は、住民の社会的連帯と、企業経営者の社会貢献(三方よしの精神)、そして市民の政治参加です。

 社会的連帯の基礎は、次の2つです。

 第1には、企業経営者の経営理念を株主重視から、労働者や取引先・消費者を大切にするものに変えることです。国籍のない資本の利益に奉仕する政治を、生産の成果を社会に還元するという使命を持った国籍のある企業を育てるものにかえることです。

 マスコミは、さも株価の上下を語ることが経済を語ることのように取り上げていますが、経済は株主のためにあるわけではありません。企業の内部留保が増えることで株価が上昇しても、国民が貧困に喘ぎ、政府が財政赤字に苦しむのでは、本末転倒です。

 第2には、子育て共同体を基礎とする、地方自治の再生です。

 住民の子育て共同体の基本となる単位が、小学校区や中学校区です。明治時代の市町村の最小単位は小学校区ですし、戦後の市町村の最小単位は中学校区です。つまり、子育て共同体が地域自治の基礎単位なのです。そこでの自治が人間の連帯意識を育むのです。

 子育て共同体が自治の単位として再生するためには、その存続や廃止をその校区の住民が決めることが出来なければなりません。地域の在り様が自分たちに任されていることが、住民が地域に責任を持つことを可能にするのです。

 そして、住民も企業も子育てしやすい社会にすることを国政に求めるようになった時、低成長の下でも、人々が自立し、安心して子育てが出来でき、全ての国民の福祉が実現する社会への転換を展望できるのではないでしょうか。

 投資されない企業の所得を、賃金や社会保障に回すことに合意が生まれたとき、人々は市民共同体のために税を払う市民となり、経済的理由で、結婚できない、子どもを生めない、高齢者が孤独死すると言った社会を克服できるのです。

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