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子育て共同体の再生で、未来ある日本を

 量産技術の発達した高度経済成長期には、大都市への人口集中が急速に進み、核家族化のもとでの保育所要求、職住分離、公害問題の噴出で行政への問題解決の依存が強まりました。この時、母親を中心にした保育所建設運動、市民の公害反対運動、社会保障の充実など市民の要求運動が強まり、革新自治体が多く生まれました。しかし、地域住民でつくる組織を、行政の下部組織でなく住民が共同で地域を支える自治組織に転換しようとの動きにはつながらず、ばらまき福祉との攻撃とともに行政改革による財政再建の流れに日本は飲み込まれてゆきました。

 

1.新自由主義の下での小さな政府追求がもたらしたもの

 1980年以降、石油価格の上昇で投資需要が停滞すると、失業率の上昇と共に、自己責任を強調する新自由主義が強まりました。しかし、サッチャーやレーガンが主導したこの新自由主義的政策は、オイルダラーの投機によるバブル経済を引き起こし、バブルの崩壊が世界恐慌を招くという構造をもたらしました。

 本来、生活が豊かになり投資需要が低下すると、労働時間を短縮すると共に、賃金や社会保険料への配分を増やしたり、あるいは社会需要に応えるために法人税や所得税として徴収しなければなりません。つまり、投資が減った分、消費として使う主体への配分を増やさねばならなかったのです。

 ところが、日本への投資が減っているのは、日本では賃金が高くもうけが少ないからだ、大企業がもうかるようにすれば投資が増え庶民にも富が回ってくるという、トリクルダウンの主張がまかり通りました。実際、2000年以降、非正規雇用が増えて、勤労者の賃金は下がり続けています。

 賃金が下がっても、家計部門の需要が維持されるのは、需要不足を財政赤字による社会給付で補っているからです。大企業や株主は、国内では需要を見込めないので、財政赤字で実現した利益を国内に投資せず、社債を返済するとともに海外証券の購入や海外直接投資という金融資産にして内部留保しています。この結果、庶民の銀行預金は、企業への貸し付けから政府への貸し付けに変わり、企業は内部留保を増やし、国家は企業が投資しないことによる需要不足を借金による社会保障で補填するので、国の財政赤字と企業の内部留保が増え続ける一方、国内生産力が低下する事態が続いているのです。しかし、国内生産力が低下すれば、円の価値が下がりインフレになります。

 こうして、不安定就労下で、政府による将来の年金保障も期待できないため、子育ての負担に自信を持てない、結婚できない若者を生み出しました。

 新自由主義が吹聴する、儲けは能力のたまものであり、格差は正当であるとの主張は、他者の借金で金融資産を蓄える経済の正当化であり、少子化を加速し、国民国家の未来を危うくするものでもあるのです。

 望まない少子化を防ぐには、投資されない利益には課税して、保育や介護を誰でも必要な時に受けられるよう、また、教育に負担かかかりすぎないよう、公的サービスを充実してゆく必要があります。

 そして、投資されない利益に課税するためには、法人が不当に課税を免れないよう、法人税率の最低限を国際協調によって定める必要があります。

 

2.低所得層と大企業の内部留保の増大、これを支える財政赤字という経済循環が促進する少子化

 財政赤字の理由は、①非正規雇用の拡大で賃金が低下していること、②企業の社会保険料の負担が軽いこと、一方で、③企業が内部留保をため込んでいるのに、法人税や財産所得課税を引き下げていることにあります。

 日本の場合、西欧諸国と比較して、企業の社会保険料負担の水準は低いものの、法人税は高く、企業は社会や労働者に所得を配分する役割を果たしていました。ところが、成長戦略の名で法人税が引き下げられたため、企業は社会や労働者に所得を配分するのでなく、株主に不労所得を配分することを主たる目的とするようになってきたのです。

 しかし、投資の必要もないのに儲けをため込めば需要不足で不況になってしまいます。不況を避けようとすれば、国家が借金をして内部留保資金を、需要のあるところに回さねばなりません。

 こうして、国家の赤字が累積する一方で、企業に使い道のない資金としての内部留保が増え、年収200万程度の貧困層が増大するという、未来なき日本の経済構造が出来てしまったのです。

 しかも、個人主義的傾向を強める社会的風潮は、自治体の社会サービスを縮小させて、共同体としての自治が育ちにくい社会を生み出します。これでは、少子化は止まりませんし、高齢者と若者の要求も対立します。

     日銀の資金循環統計 国民経済計算2011年度版、2009年度版

 

3.問題を解決するための基礎は、住民の社会的連帯と、企業経営者の社会貢献(三方よしの精神)、そして市民の政治参加です。

 社会的連帯の基礎は、次の2つです。

 第1には、企業経営者の経営理念を利益分配第1主義から、労働者や取引先・消費者を大切にするものに変えることです。国籍のない資本の利益に奉仕する政治を、生産の成果を社会に還元するという使命を持った国籍のある企業を育てるものにかえることです。そのためには、法人税の累進化が有効です。

 マスコミは、さも株価の上下を語ることが経済を語ることのように取り上げていますが、経済は株主のためにあるわけではありません。企業の内部留保が増えて株価が上昇しても、国民が貧困に喘ぎ、政府が財政赤字に苦しむのでは、本末転倒です。

 第2には、子育て共同体を基礎とする、地方自治の再生です。

 住民の子育て共同体の基本となる単位が、小学校区や中学校区です。明治時代の市町村の最小単位は小学校区ですし、戦後の市町村の最小単位は中学校区です。つまり、子育て共同体が地域自治の基礎単位なのです。そこでの自治が人間の連帯意識を育むのです。

 子育て共同体が自治の単位として再生するためには、地域自治組織が地域に対して持つ権限と責任が明確にされねばなりません。

 そして、住民も企業も子育てしやすい社会にすることを国政に求めるようになった時、低成長の下でも、人々が自立し、安心して子育てが出来でき、全ての国民の福祉が実現する社会への転換を展望できるのではないでしょうか。

 投資されない企業の所得を、賃金や社会保障に回すことに合意が生まれたとき、人々は市民共同体のために税を払う市民となり、経済的理由で、結婚できない、子どもを生めない、高齢者が孤独死すると言った社会を克服できるのです。

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